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“鬼軍曹”は永遠に。Sアリーナ山本小鉄さん追悼特番を見ました
 昨日9月4日のSアリーナは山本小鉄さんの追悼特番でした。
ゲストには現在欠場中の天山広吉選手、そしてIWGP実行委員会の垣原賢人さん、そして東京スポーツ新聞社の柴田惣一さん。
それぞれの思い出、懐かしいVTRを交えながら、小鉄さんのお人柄などを振り返っていました。

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柴田「コーチじゃなくて、軍曹という方でしたね。最前線に立って自ら背中で選手を引っ張っていく。そして山本さんというのは“怒る”んじゃなくて“叱る”。怒るというのは一刻の感情から出るものだと思うんですけど、教育的な観点を持って指導されていましたよね。各選手それぞれの個性、考え方をちゃんと分かってらして、もちろん言う時にはガーっと言って、その後にちゃんとフォローをされていましたよね。本当にそれぞれ個人をわかっていらして。本当にそういう先生に僕も会っていたかったです。
マスコミに関しても新人記者でも何でも丁寧に接していただけて、“さん”づけでね、語っていただいたり。丁寧語でしゃべっていただいたり。別け隔てなく、難しい答えづらい質問にもキッチリ接していただいた。
あと一緒に並んで解説するときもあるんですけど、僕らはこういう選手の方達とやるときは非常に緊張しながらやるんですけど、山本さんは普通にしゃべらせていただいて。全くスムーズに周りに気配りができる方でしたね」

垣原「新日本に入団してから8年ですか?道場でお会いした時に還暦なのにすごい体してるなと、まず驚きましたね。
印象に残ってるのは『とにかくプロレスラーはどの競技の選手よりも練習量で負けちゃいけないと』。K-1の魔裟斗選手が凄いと聞いたりしてて。練習量。とにかく練習量というのは凄くおっしゃっていましたね」

天山「自分も入団する前に小鉄さんが校長のプロレス学校で入りまして、プロレスラーになりたい一心で京都から出てきて。でも入門してすぐ辞めちゃいまして、逃げちゃったんですけど、もう一回やりなおしたいという気持ちになった時に山本さんに気持ちを伝えて。最初は『なんでやめたんだ?』と凄く怒鳴られて怒られたんですけど、今度こそ逃げるなよ、と。それで山本さんに救ってもらっていなかったら自分はどこでなにしてるか分からない。山本さんには本当に恩人です。お世話になりました…」


■通夜の模様をVTRで
▼一報を受けて
天山「何かの間違いというか。最近まで本当に道場におられて、練習もされてガンガン元気にされていて。間違いだろうとビックリしましたけども…」

垣原「最後にお会いしたのは8月のG1ですね。その時は元気そうでしたので。『元気か?』と威勢のいい言葉もかけて頂いてたので、信じられなかったですね…」

柴田「山本さんの人脈の広さというかですね、通夜の精進落しの料理をいただいたんですが、選手は勿論、今は離れていらっしゃる地方のプロモーターの方、引退されているリングを組み立てたり運搬されていた方とか久々に懐かしい方々にお会い出来まして。あと、前田(日明)選手とですね、何年ぶりになるのかな?料理を向かいで差しビールをやりながら久々に話ができましたね。
本当にもう山本さんのおかげでこんなに多くの方に出会えたし、山本さんの導きでね、いろんな関係もできたしお話もできたし。本当にね山本さんの力というのがプロレス界にどれだけ大きかったのかなというのが分かりましたね」


▼前日3日の後楽園ホール・追悼大会を迎えるにあたって
柴田「第一報を坂口相談役からお電話いただきまして、とても信じられなくて、『どこの山本さんですか!』と大声で叫んじゃって。
僕も昨日の追悼試合、涙なんか出るかと思ったんですけど、花道の奥にベンチプレスのセットとかトレーニングの機械を置くスペースにいつも試合前になると山本さんが出てこられていて。色々と僕らに話しかけてくれていたんですけど、その姿がまじまじと浮かんできてですね…ほんと僕は涙なんかあまり流さないんですけど、それで涙が出てしまいましたね」
天山「やっぱり、山本さんには選手のみんなの父親的存在というか、じぶんにとってもオヤジ的な存在だったので。ほんと厳しくて頑固な人でしたけど、いろんな面で何かみんなを気にかけてくださっていたので…本当…こんなになるとは思わなかったですね…」
垣原「引退してから同じIWGP実行委員会としてやらしていただいて。会場であるたびに凄く心配していただいて。私、地元の方で子供向けの体操教室をやらせていただいているんですけど、それも気にかけてくださいまして。ミヤマ仮面をやってるんですけど、小鉄さんから『クワガタムシのキャラクターをやっているんだから、トレーニングの中にもクワガタムシの動きも取り入れなきゃだめだ』と言うことも言ってくださいまして。凄く真面目で堅いイメージがあったんですけどそういう頭も持っておられるんだなと。」


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藤波辰爾さんのコメントVTR
藤波「第一報をうけたときはびっくりですよね。長州選手から聞いたんですけど、二人して沈黙ですよ。最近はお会いしていなかったですけど元気の塊のような方でしたからね。未だに信じられない。
思い出ってまだまだそんなゆっくり余裕はないんだけど…。まず思い出すのは猪木さんの家の庭を崩して新日本の道場を建てたんだけど、鉄筋を我らが担いでね。それがいわば練習代わり。
住むところがないんでね、新日本プロレスの事務所のそばで寝ていてたりして。そこに小鉄さんが昼と晩にお弁当を持ってきてくれるのね。奥さんが料理がうまかったんで。そういう。思い出したらキリがない。
アニキであり、親代わりですよね。細かいことまでも気遣い、心配してくれる。
結果的に何の恩返しもできてないというのが。世話になってただけに、それだけ頼りがいがある。とにかくあの人がいれば問題が解決する。新日本の旗揚げの時にも地方に行く時に何か問題がある。その時には山本さんが自分で処理とかしていましたからね。
自分が新日本プロレスを離れて、顔を合わす機会も少なくなって、もう一度お会いして、お酒を酌み交わしながらゆっくりお話したかったなぁって。悔いが残るね。
 これも自分の話なんだけど、78年かな?
自分がちょっと日本を離れて海外に長期遠征をすることになった時に、山本小鉄さんに呼ばれて色んな食事をしながら結婚の話もうちあけたりしてたんでね。
プロポーズしようってなって、夜中2時に小鉄さんの家で電話させられてね。その翌日海外にいっちゃうんで。でもその時はまだジュニアとして定着してなかったんでね、その時に出たのが『3年待ってくれ』。『なんだその3年待てってのはは?』って言われましたけどね。」

初代タイガーマスク「私の第一回目の付き人が山本小鉄さんだったんですけど、猪木会長に橋渡しにしてくれた人だったと思います。
エピソードは『レスラーたるものと』いった感じでみんなに敬語の本を配ったり、礼儀作法を厳しく教えられた、そして反面では凄く優しい人でした。鬼軍曹という言葉がありますが凄く優しい人でした。凄く残念です。
思い出といえば、四国でしたか?付き人として、興行のお金880万円を僕がタクシーにおいてきたことがあります。その時慌てて電話をしているのを見て『どうしたんだ?』とみんなで慌てて、次のタクシーの運転手さんに電話して見つかりまして。その時に山本さんと一緒に頭を坊主にして。その時に私に『珍念』というあだ名が付きまして。それくらい可愛がってくれた人です。
山本さんの強さの側面もよくわかってますし、弱さ、弱さというか優しさの側面もよくわかってますし、その、縁の下の力持ちとして数々の大スターもいらっしゃいますが、その一人、それ以上にの功績に匹敵するくらい方だったと思います。本当にゆっくり眠ってプロレスを弟子たちが引っ張っていくのを見て欲しいです。これからの人もそういうのを引き継いでプロレス界を盛り上げてほしいなと思います」


大谷晋二郎「小鉄さんは大大大先輩。ファン時代に抱いてたほんとうに怖い“鬼軍曹”と言われたイメージは正直無いです。眼光は厳しいのはある。
でも『練習キツイか?』と声をかけられ、でも本当に憧れの新日本プロレスにはいれている喜びの方が大きかったので『キツイですけど幸せに思ってます』とよく言わせてもらってました。
『辛かったりキツイ時にはとにかく練習をしなさい』と言われました。『一生懸命練習してたら絶対に間違いなはないから』と。多くの人が言うかもしれないけど、山本さんから発せられる言葉はずっと忘れないですね。もしかしたらプロレスを引退しても離れない言葉かもしれないですね。
 当然、うちの若い人間というのは小鉄さんと接点はないですけど、山本小鉄さんというプロレスの鬼と言われる人がいたということ、言われたこと、想いを若い選手に伝えることは可能なんです。
山本さんが愛したプロレス界に踏み込んだ選手に伝えることは、僕の役割なのかなと正直ありますね。
橋本真也の息子もいる。橋本真也イズム、山本小鉄イズムを伝える。責任を背負ってると勝手に思っているので。いい意味で背負っていきたいです」

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 初代タイガーマスク選手の語り口調が実に寂しくて…。


三田佐代子アナ「天山さんは現在欠場中ですが、最近でも小鉄さんと道場で一緒になることがあったということですが?」
天山「ここ最近は道場で午前中の人がいないときにしっかりやりたいなって行くことがあって、そういう時はたいてい小鉄さんが9時、10時にいらっしゃる。キャデラックが止まってるんですよ。
緊張しながら入っていくと『おう!調子どうだ?そろそろ復帰すんの?』とかきかれたりして、色々心配してくださって。復帰するときは今までの天山じゃなくて、『天山、変わったな!と思わせなきゃダメだよ!』と。『色んな技なんかにしても考えなきゃだめだぞ』って色々話をしてくださって。自分にとっては凄くいい話をしてくださって
それで、自分は昔から胸に筋肉がつかないタイプなんですけど、昔から山本さんに体重を増やせと、飯をガンガン食えと言われて。あと、胸(のトレーニング)をもっとやれ、と。毎回、朝に会うと小鉄さんからガンガン胸をやらされたりして(笑)本当は肩をやりたいんだけど、山本さんがいるから…と思いながら(苦笑)
本当に最近もずっといらっしゃったんで、山本さんも調子がいいんだろうなぁと思っていだんですけど…」


▼昨年(09年3月)のグレーテストレスラーでのプレゼンターVTR
三田佐代子アナ「この時、バカ息子と紹介されたのは前田日明さんでしたね。昨日の弔辞は新日本の菅林社長、そしてもう一方は前田さんだったんですよね。それだけ関係が深かった」
柴田「ご遺族の方ともよくお話されてたんでしょうね。前田さん達ももよく鍛えられたと思ったんですけど、藤原喜明さんや小林邦昭さんなんかはもっともっと厳しかったようで。新日本プロレス道場の近くに水道局があって、その側に白樺の木があるんですけど、出刃包丁持った藤原さんや小林さんが『小鉄、コノヤロー』といいながら突き刺してたと。今でもその傷跡が残ってるそうで。でも、前田さんや天山さん、垣原さんの頃にはかなり優しくなってたんじゃないですかね。厳しさの中にも優しさがあったとは思うんですけどね」


▼清野さんとのSAMURAI TV“ニュージャパンライン”の映像
真壁選手がIWGP王者になって、これまでの苦労を涙ながらに語られるVTR。
三田佐代子アナ「真壁選手、中西選手の時と、努力してなかなか結果が出せなかった選手がベルトをとった時に本当に喜んでる小鉄さんの姿というのがありましたね」
柴田「色んな選手の面をいろんな角度からご覧になっていたということでしょうね。練習だけじゃなくて、普段の生活とか事細かくチェックされていましたよね。本当に素晴らしい先生でしたよね」


▼08年・昭和プロレス興行でヤマハブラザーズ一夜限りの復活
天山「人に言うだけじゃなくて自分自身もしっかりトレーニングされていた。レスラーを辞めたからってトレーニングしないということもなかった。素晴らしい先輩」

柴田「よく言われていたのが『プロレスラーは舐められたらあかんよ』。その言葉を自分で実践されてましたよね。
あと、スキンヘッド。ヤマハブラザースで活躍されていた頃。60年代70年代の反日感情がまだ凄い時にアメリカの床屋に断られて、その時から自分で簡単にセット出来るスキンヘッドにされたそうなんですよね。今や安全カミソリの達人でしたね。
僕があるときやられている時を目撃してしまって。本当に見事にやられていましたね。」


垣原「体調管理にも凄く神経を使われていまして。汗をかいたら冷えるじゃないですか。それでどこに行くにも着替を持っていた。いつでもどこでもケアをしなきゃいけないと」

▼3日後楽園ホールでの追悼大会のVTR&動きをチェック
三田佐代子アナ「天山に一つお聞きしたいのは復帰に関してですけど、そろそろいつというのは見えてきそうですか?」
天山「そうですね。復帰は今、自分自身調子がもどりつつある中で練習もガンガンできるような感じなんですけど、一日でも早くという気持ちでトレーニングをやっていますんで、もう少し待っていただければと。間違いなくリングの上で復帰する気持ちでいますので、よろしくお願いします」

三田佐代子アナ「最後に柴田さんから小鉄さんに関するお話を何か」
柴田「いつまでも下を向いていたら小鉄さんから『前を向け!』と言われると思うんですよ。
小鉄さんて非常におちゃめな一面もある方だったんですよ。ある時、小鉄さんが頭を剃られている時に出くわして『柴田さんも剃るの?あ、(カツラだから)取るのか!』と言われて、僕はさすがに小鉄さんがそんな事をおっしゃると思っていなかったんで返せなくて絶句してしまったんですよ。それが心に残ってますね」

三田佐代子アナ「皆さん、小鉄さんん教えをうけたレスラーってたくさんいらっしゃって、どこかで小鉄さんが見てるんじゃないかって気持ちは持ち続けると思うんですよね」
柴田「そうですね。本当に僕も小鉄さんが昨日の後楽園ホールに絶対にいらしたと思うんですよね。昨日の試合を見て、これなら大丈夫だと思っていただいたと思うんですよ。本当に、選手のみんなに天国から見守ってくださっている小鉄さんを納得させて、ストロングスタイル、これを新日本プロレスだけじゃなく、日本プロレス界で守っていかなければいけない」
三田佐代子アナ「レスラーは強くなくちゃいけないんだ、どんな競技の人達よりも練習しなければいけないんだという教えをね。キング・オブ・スポーツ、そしてライオンマークを考案されたのもね(小鉄さんでしたから)」
柴田「あのライオンマーク、最初に山本さんがライオンマークを書いたときには猫になっちゃったらしいんですけどね(笑)」
三田佐代子アナ「それをライオンにした、と(笑)はい。改めて皆さんもお迎えしていただきたいと思います。ありがとうございました」

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山本小鉄さん=プロレスラーのお父さん。
それは新日本プロレスだけでなく、インディーや女子レスラーのみなさんにとっても。
それはVTRで拝見した告別式の模様を見て凄く伝わりました。
2年ほど前に大日本プロレスでの特別指導の様子もSAMURAIの他番組で目にしたりと、プロレスラーと接する姿が本当に我が子のように。

可愛い息子達に少しでもプロレスを通じて世間に幸せを運んで欲しい、そして誇りを持って欲しいというのが伝わりました。
何でもかんでもリングに上がって名乗れば“プロレスラー”といえる時代。
良くも悪くも、様々な形の選手を楽しめるような時代。
そんな時代にあって、昔からのプロレス、プロレスラーとしての姿の象徴とも言っていいお方だった小鉄さん。
高齢とあってもトレーニングを欠かさず、ありえない肉体で“プロレス”を示しつづけた小鉄さん。
そんな小鉄さんに恥ずかしくないプロレスを私も大事に見ていきたいです。

お亡くなりになったとはいえ、鬼軍曹としての厳しいまなざしは今もすぐ側に。

本当に安心して見ていただけるように、みんなで頑張っていきましょう!

プロレスはキング・オブ・スポーツ!!
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

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