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東北地震を経た想いを全日選手が語る・その1 「全日本プロレスSP」を文字起ししました
  今週の月曜23時に初回放送があった『全日本プロレススペシャル 〜チカラをひとつに〜』。 

3月11日に宮城県石巻市で興業を行うはずだった全日本プロレス。
その移動中、および現場で会場準備をしていた最中に実際に被災し、3月21日の両国大会を開催するまでのドキュメント。

二手に分かれて行動していた選手から諏訪魔さん、TARUさん。
そして、すでに現地で会場準備をしていた皆さんの中から代表で 阿部誠リングアナ
さらに、唯一、一人だけ別行動をとっていた近藤修司選手がリアルに地震にあった時のこと、そして両国を開催するにあたって望んだ気持ちを語る番組になっていました。

これからUPするのはその番組で語られたものの文字起こしです。
ただ、出来れば、今後放送される再放送などで、実際に選手の声、トーンを感じていただきたいです。
それによりもっともっと「生々しさ」が感じられ、身近なものに感じていただけると思いますので・・・。

※次回再放送 →9日(土)15時〜、10日(日)9時〜


地上波の情報番組を目にして感じるものとはまた大きく違った思いが必ず感じられると思います。
それほどまでに各選手の“声”から発せられる真実は重いものでした・・・。

3・21両国大会を開催できたこと。もっと言えば、全日本プロレスの皆さんが揃って帰って来られた事自体が「奇跡」だと感じられました。
震災から早くも一ヶ月が経とうとしています。
まだまだまだまだまだ長いスパンで復興を目指してみんなが頑張り、支えていくことを目指してやっていかなければいけませんが、今、あらためて色々考えるきっかけになればと。
では、長い内容ですが。




ナレーションはカズ・ハヤシ選手。
これまたいいナレーションするんだ・・・。

まずは武藤社長の冒頭の挨拶からスタート。

武藤敬司「全日本プロレスの武藤敬司です。今回の地震で亡くなられた皆様、心よりご冥福をお祈りします。そして被害を受けた皆様、お見舞い申し上げます。一日も早い復興を願っています」


▼3月11日 PM2:46 東北地方太平洋沖地震発生 


諏訪魔「選手はバスで仙台南部道路という高速道路を走っていたんですけど、携帯の警報がバス中で鳴り響いちゃって。それで『地震が来るぞ!』なんて騒いでて、そしたらものすごい揺れが来て。それでバスを路肩に止めてたらバスが倒れる寸前くらいの揺れがきて。隣が崖でしたし、『本当に死ぬ』という感じでしたね。 
それで揺れが10分近く続いてたかな?・・・それで揺れが落ち着いてちょっとずつ進み始めたんですよね。そしたら水道管は破裂してるは、道路がグニャグニャになってるし。これは一大事だと思いましたね。 
バスにテレビが付いてたんですよね。それで本当に一大事だということに気づいて、仙台空港なんか津波でのまれたのを見て、これはヤバイと思いましたね。 
 ちょうど道場を出発する時にある選手が10分から20分遅刻してきたんですよね。その遅刻がなかったら本当に海の方まで行ってましたからね。怖かったですよね。その選手も勘違いして救世主みたいになってましたけど(苦笑) それでも『よかった〜』て思ってました。」 


TARU「ちょうどVMはマイクロバスで仙台東部高速かな?新しめの道路。そこをちょうど走ってるとこやったかな。 
揺れをあまり感じなかったんだけど『ちょっとおかしな感じやな?』と。それで運転手に『おかしいぞ。揺れてるぞ』とハザード出して高速の路肩に停めさせたんやけど、その時には揺れがすごくって。バスの窓から高速の下が見えたかな。 
オレは阪神淡路大震災の直撃をうけてて地震だとすぐに分かったから、とりあえず直感で全員バスから降りろと。ただ降りても(阪神淡路大震災の時のように)高速が倒れる可能性があるなと思ったからね。バスがひっくり返りそうになったから『死ぬな』と(思った)。阪神の時の悪夢が蘇った感じかな。 
 ウチのバスは外人がいて、あんな地震は初めただと思うからパニくってたね。バスの中の物は全部落ちてくるし。なんだろうね。ジョー(・ドーリング)なんかはパニくってゴミ箱とかふっ飛ばして暴れてたから。日本人は地震をよく知ってるけど(外人はよく知らない)。グチャグチャやったね、バスの中は。 
でも荷物うんぬんよりも命が大事やから。とりあえず窓からでもどこからでもいいからバスから降りろ、と。 

 高速というのは切れ目(連結部)があるよね。
その切れ目に4〜50センチ亀裂が入って揺れてるよね。そういう状況やったから、高速を降りないかんと思って、たまたまバスの中に積んでた厚いベニヤ板を亀裂の入った段差のところに引いてバスをゆっくり動かした。 
で、バスを動かして、運良く揺れてから5分くらいのところで高速を降りる出口があって。 
それで真新しい高速道路だったから高速を作る作業員の方達もいて。怪我して転がってたから、その人達を乗せてとりあえず高速を降りて、病院に運ばないかんと。そんな感じかな。そこまで揺れてから10分くらいの間だったかな。 

 その後に怪我人を連れて行った病院も湾岸の方にある病院だった。そこから俺らはその道路を使ってとりあえず『石巻の会場に向かわなあかん』と思って下道を通って行ったけど、小高い所を登ったらトラックがみんな停まってて。 
トラッカーは情報が早いからね。なんで止まっているのか聞いたら、『津波がくる』、と。 
そしてその小高い丘から(下を)見ると、今まで見たこともないような波。・・・なんやろうね。『水面が浮かび上がってくる』感じ。それで俺らが通ってきた道が水で押し上がってくるというか・・・凄い光景を見てしまって。 
そこで待ってたら良かったのかもしれんけど、オレはそこを離れたほうがいいなと思ってすぐにその場を離れようと。 

 そして来た道を戻ろうとしてたら正面から自衛隊が来て『道に津波が来て流されてきた船が二艘くらい道を塞いでしまって、道が無くなった』と。 
ただ運が良かったのはその自衛隊と出くわしたのね。で、その自衛隊に誘導をお願いしてウチのバスもついて行くねんけど、もう道路の片側が落ちてるんよね。そんな中を自衛隊のトラックとウチのバスが行くもんやからミシミシして危ない危ない。 
でも自衛隊がおったという心強さもあってなんとか逃げて・・・。 
もう本当に“数分の判断”やと思うわ。間違ってあと5分、10分おったらこうして今こうやってインタビュー受けてなかったかもしれんし。今考えるとゾッとする話だよな・・・」 


阿部誠リングアナ「その日は11日の13時からリング設営を開始して、14時30分前にリングが完成しました。そして15時に弁当が来る予定だったので皆でダラダラ休憩をとってたんですよね。
その時ですよね。14時46分。軽く揺れ始めたんで『あ、地震だ』くらいの気持ちだったんですよ。その前々日くらいに震度5くらいの地震があったんで余震だと思って普通に喋っていたら段々と揺れが大きくなってきて、誰かが『危ないから外に出ろ』と言ったんですよ。そして外に出た瞬間にマグニチュード9の一番MAXの状態。もう立っていられないくらいの勢いになりまして。 
で、体育館のガラスが割れて外に散乱していたんですよね。それで中もマズイ状況になっているんじゃないのかと思って確認に行ったんですよね。そしたら天井から相当大きい水銀灯が3つ。あとリングのセンターくらいの場所で天井の2〜30キロくらいの骨組みが落ちていました。で、壁は崩れている場所が結構あったり。 
で、日が暮れていくと街頭がないから真っ暗。それで体育館から見て右手の方がやけに明るかったんですよ。後から聞くとそれは火事の明かりだったんだよ、と。
・・・今思い出しても心が痛いですね…」 


近藤修司「あと7、8駅くらいで石巻の駅に野蒜駅という所を過ぎてすぐの所くらいで地震にあいましたね。 
大きめの揺れで。地震自体は別にどうということは無いくらいの揺れでしたけど、『大津波がくる』っていう車掌さんの(アナウンスが)。それで高台に逃げてくれと。その時は、まぁ、津波に注意してといわれても(津波が)来ないことが多いでしょ?だからそうは言っても2、3メートルくらいだろうという感じで。
でも、たまたま電車が止まっていたところが高台だったからそこを動かずに電車の中で待っていたんだけど、ちょうど両横が高さ5、6メートルの人工の崖があって。そこに津波が電車の進行方向の真横からむかって来る感じで来て。電車の前と後ろで見てた人は津波がくるのが分かってたんだろうけど、まぁ、(電車の真横に)崖があってそこにぶちあたって横から(力が弱まった波が)流れてくるみたいな感じだったから・・・。 
まぁ、でももし津波がきたとしたら窓をぶち破ってでも一人だけその崖を登って行ってやろうという覚悟はできてたからね。最悪、一人でもいいから登ってやろうという・・・。 

死ぬか生きるか』というところ。
もう、助けあおうと綺麗事を言ってられない状況になる・・・。 
助け合いしててみんな流されちゃったら意味ないし。『本当に死ぬのか』っていう時には一人でも助かってやろうという気持ちになると思うんだよね・・・。そこは“リアル”なところ。 
(TV等の放送では)綺麗な話とかが流れたりするかもしれないけど、実際、自分がその気持ちには・・・。自分が死んでもいいから助けようという気持ちに思う人っていうのは相当な人だよね・・。 

雪も降っていて。勿論、電車の電気も止まるから暖房のない中100人のお客さんが一両に集まって夜を明かしたけど、辛いね。 
で、オレはやっぱり体格がいいし若い方だから空気的にいろんな事ができない。
食料とかみんなが分けあって出してくれるけど、食べるに食べられないじゃない。ご老人の方とか優先で食べてもらわなきゃいけないから。本当は食べたいんだけどね。 

(翌日は)天気が良くて。すぐそこに海があると思って(見て)いた所が実は田んぼだったね。一面がブワッと。水が一気に来てて。 
あと、前に通過していた野蒜駅が無くなってた。無人の駅だけど無い状態。 
TVでその他の地域の酷さを見て、オレが助かったのは奇跡に近いんだと思ったところから怖くなったね・・・。 その時(地震にあった瞬間)は電車の中に乗ってる人達はみんな助かっているわけだからさ。そんなに怖い思いはしていなかった」 


▼東京への帰路。そこで見た光景 

TARU「ずっと下道を通って仙台に戻ろうと。その時に大会は中止だというのは分かったんで。もともと石巻で試合をしたら仙台のホテルに泊まる予定やったんでそこに泊まろうかという話をした。 
けど、仙台の街が真っ暗で泊まるはずのホテルに行くと被災した人達でゴロゴロ(溢れかえっていた)。そんな所を俺達が止まれないじゃない?被災した人達優先だし、俺らにはバスがあったから。バスの中で一夜を明かそうと話をして。 
そして俺らが東京に向かっていく途中、福島のマクドナルドかなんかの所はトラックが道から落ちて大変なことになってたりしてたからね。ちょっと・・・一分でも早く東京に向けて走ったほうがええな、と。 
 なんせバスの中にはね、TVがあったからいろんな情報は入ってたし、携帯電話のワンセグも見れたんで大変なことになってるな(というのは分かった)。で、俺らは戻ってこれたけど『周りはみんな大丈夫かな?』と。周りが気になって心配したね。どうなんかな、って。 
戻ってきた時に東京の街のネオンを見たときには『あぁ・・・生きてたな…』という実感はあったし、ジョーが何も食べてなかったんで、マック(マクドナルド)を見つけたときにマックが愛おしく思えたね。うん・・。 

 オレはさっきも言ったとおり阪神淡路大震災を経験してるから他の人達と違う覚悟もあるし。でも後から振り返ったら『良く無事で』という強運というか、悪運強いというか。やっぱりブードゥーやな、という。 
ブードゥーというのは皆がどない思ってるか分からへんけど、結構、一致団結してるんよね。結構、判断力もあるし、まとまってるからね。良かったと思う。オレの言うことも聞いてくれるから、なんやろ・・・。『ブードゥーで良かった』という感じ。ブードゥだから生き延びれたという感じ」 


近藤修司「朝明けてから。JRの仙石線っていうんだけど車掌さんが凄い若いのにちゃんとしてて働いてて。助かったなぁって。 
まず、近くのコミニティセンターなのか、市役所?かな?そこまで行ったんだけど、やたら冷たい感じなんだよね。100人くらいの人がぞろぞろ歩いて。地元の人なんだろうけど、おじさんみたいな人達が沢山集まっているところで、ちょっと『ココに来ても何もねえ』という、“拒否られている”感じはあったよねえ・・。“助け合い”とは言ってるけど色んな人の感情があるからね。 
そこからトラックに来てもらって避難所?何市かわかんないけど、隣のホールみたいな所に連れて行かれたんだよ。ま、それで連れて行かれてお終いだよね。なんにも。どうにもならない。 

 その避難所に来て『逃げ出さなくちゃいけない』と思ったのは、配給が来て貰えたのが紙コップに(親指と人差指で3センチくらいの空間)これくらいしかお茶が入ってない。みんなにそれをあげてたのね。それを見て『ココに居たら帰れねえな』って。で、次に仙台までの5、60キロを歩いて帰ろう、と。そしたらたまたまタクシーが来て偶然、仙台方向まで行くって言うから乗れて仙台まで逃げることができたんだけど…。 
たぶんあの辺は今だにちゃんと物資が届いているのか分からない状態だと思う。 

 まぁ・・・誰も助けてくれないよね。冷たいもんだよね、そういう意味では。『助け合い』はするけど結局みんな余裕が無いから“命”までは助けてくれるって感じ。 
それ以上のことは、本当に自分でなんとかするしかない 

なんかねぇ・・・。本当にすげえんだよ。“和民”って。 
本当にたまたま市役所近辺のど真ん中で一角ずつ電気が付いてる。で、たまたま通った和民が始まったばっかりだったのかな?やってるっていう。 
もちろん水も出ないし火も使えないからメニューも少ないんだけど、それでもやっているっていうのがスゲェなって。 
でもカセットコンロに小さい鍋があったから食事がとれた。 

でね、人間は飲まず食わずで何日生きれるとか言うけど、実際はそんなにもたないね。実際のところ。 
一日食べれなかっただけで結構・・・。落ちてた飴を拾って食べたりしてたからね。シンドいよね…。で、何もやる気が起きない。 

その後にたまたまタクシーが拾えて、山形まで行ってくれるっていう。 
本当に“たまたま”全部、運が良くてきてるからね。トントントンと。あんまり大変そうな話には聞こえないかもしれないけど。うん・・・。不安でしょうがないよね。 

緊張がフッと解けたよね。後は、何か知らないけど“怒り”っていうのがあったよね。 
怒ってもしょうがないんだけど、被災した瞬間から震災に対して怒っていたんだけどさ、なんて言うんだろう…コノヤローじゃないけど何かあるよね。変な感情だよね。 
どうにもならないモノに対して当たるところがなくて、もう、“生き抜いてやる”じゃないけど、自然に対する怒りが出てきたというか。 
『自然なんかにぜってー負けねえぞ!』っていう。 

自然と共生しようとかよく言うけどさ、自然ってそんなに小さい物じゃねえからね。
ああいうのを見たら。もう、そういう大きなものに対する怒りっていうのか。…何とも言えない感情だよね。 
アホみたいに見えるかもしれないけど、なんとしてでも東京に帰って生き残ってやるという…。 
あと、何万人という殺された人に対する怒りって言うかね。そういうものもあるし…」 



阿部誠リングアナ「12日は石巻高校で一晩を明かして、日曜日の昼くらいですかね? やっぱり情報が入ってこないので自分たちの目で確認をしたくてトラックで行けるところまで行って街を歩いたんですよ。 
やっぱ自衛隊の人達がいっぱいいて、二時間くらい色んな所を歩きましたね。津波に襲われた所も見ましたし、地震で倒れた家も見ましたし…。それで自衛隊の人達と話をするようになったんですよ。 

 その時になると自衛隊の救援の車も沢山入ってきていたので、もしかしたら橋も通れるようになったんじゃないかと思って自衛隊の人達に聞いたら、“通れる”という事を聞きまして。 
ただ、『水位がまだ高い所だと1メートル以上残っている箇所もあるから、そこは通れない』と。ただ、『トラックだと通れるかもしれない』と。 
その情報をもらって石巻総合体育館に残っている黒木親方(リング屋)に連絡して話をして一気に出ることに決めました。 

 ただ、本当に“イチかバチか”の賭けだったですよね。
保証はなかったんで。もし水位が高くてエンジンとかに入っちゃってトラック自体が動かなくなったらそれこそ身動きがとれなくなるわけだし。もしかしたら、このまま総合体育館で待っていた方が良かったかもしれない。けど、イチかバチかで行くことに決めました。それが13日の日曜日の15時ですね。 
その時、石巻から出たかった人達も避難所にたくさんいたと思ったんですよ。
でも、自分たちもそれが確かな情報かどうか分からなかったんで(そんなに人達に)言えなかったんですよね。橋が通れるようになりましたとか言いたかったんですけど…。
それが今でも思うんですけど、自分たちだけ行っちゃって後ろ髪をひかれる思いというか・・・。キツかったですね」 

------- 

その2に続きます。


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